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アマン・ジャン 「髪」
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭」
エル・グレコ 「受胎告知」
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女」
クールベ 「秋の海」
クラウス 「二月」
ゴーギャン 「かぐわしき大地」
コッテ 「老馬」
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景」
シニャック 「オーヴェルシーの運河」
シャヴァンヌ 「幻想」
セガンティーニ 「アルプスの真昼」
セザンヌ 「水浴」
セザンヌ 「風景」
デルヴァン 「連馬」
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー」
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子」
ドニ 「波」
ピサロ 「りんご採り」
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭」
ブールデル 「ベートーベン像」
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
ホドラー 「木を伐る人」
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女」
ミレー 「グレヴィユの断崖」
モネ 「睡蓮」
モネ 「積みわら」
モロー 「雅歌」
ラファエリ 「アニエールの街路」
ル・シダネル 「夕暮の小卓」
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村」
ルノワール 「泉による女」
レールマン 「小径」
ロダン 「カレーの市民―ジャン=ダール」
ロダン 「説教する聖ヨハネ」 |
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■解説
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、建築家の息子としてパリに生まれました。両親の理解のもと、国立美術学校に進学。在学中にローマ留学をのぞみ、当時、若手画家の登竜門だったローマ賞に応募するものの、2度とも落選しました。その後、自費でローマに留学し、古代の文化遺跡、ヴェネツィア派やミケランジェロなどの古典から多くをまなびました。また同時代では、ドラクロワや壁画家のシャセリオーの影響をうけています。
モローは、聖書や神話などの伝統的な題材をとりつつも、当時主流だったアカデミックな描法にとどまりませんでした。モローは「私は眼に見えるものも手に触れるものも信じない。眼に見えないもの、ただ感じ得るものだけを信じる」という言葉をのこしています。この言葉に示されるように、彼の作品に登場する人物像は、聖書や神話の意味あいを超えた、普遍的な強いイメージをもっています。
この「雅歌」は、ソロモン王と乙女との愛をうたった、旧約聖書の「雅歌」を題材にしています。きらびやかな衣装をまとった女性が、前方へ視線を向けたたずんでいます。
モローは制作のかたわら、1892年から国立美術学校の教授をつとめました。彼は生徒たちに、みずからの画風を押しつけるようなことは決してしませんでした。そして、過去の巨匠たちに学び、自分自身の個性を見極めてのばすように説きました。こうして、彼の門下から、マティス、マルケ、ルオーなど、その後の絵画運動をになっていく、すぐれた画家たちが巣立っていったのです。
(参考文献) 「ギュスターヴ・モロー」展図録 (NHK、NHKプロモーション) 1995年 |
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