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アマン・ジャン 「
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭
エル・グレコ 「受胎告知
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女
クールベ 「秋の海
クラウス 「二月
ゴーギャン 「かぐわしき大地
コッテ 「老馬
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景
シニャック 「オーヴェルシーの運河
シャヴァンヌ 「幻想
セガンティーニ 「アルプスの真昼
セザンヌ 「水浴
セザンヌ 「風景
デルヴァン 「連馬
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子
ドニ 「
ピサロ 「りんご採り
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭
ブールデル 「ベートーベン像
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん
ホドラー 「木を伐る人
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女
ミレー 「グレヴィユの断崖
モネ 「睡蓮
モネ 「積みわら
モロー 「雅歌
ラファエリ 「アニエールの街路
ル・シダネル 「夕暮の小卓
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村
ルノワール 「泉による女
レールマン 「小径
ロダン 「カレーの市民―ジャン=ダール
ロダン  「説教する聖ヨハネ
 

■解説
印象派の主要な画家であるクロード・モネ(1840-1926)は、パリで生まれ、幼少期をセーヌ河口の港町オンフルールで過ごしました。そこで海景画家ブーダンに出会い影響を受けたモネは、パリで画家への道を踏み出します。パリに出てから、シスレー、ルノワール、ピサロなどの仲間と知り合い、ともに印象派のグループを結成し、自然の外光の描写を追求しました。
生涯、モネの関心は、外光によってさまざまに表情を変える自然にありました。同じモティーフを時間毎に描き分け、光と色の変化を追った連作を数多く制作しています。とくにモネが、彼の後半生で熱心に取り組んだのは、「睡蓮」の連作でした。ジヴェルニーの自宅の庭園に睡蓮の池をつくり、制作に没頭しました。
この「睡蓮」は、画面全体が水面のみで占められています。明るい色彩で丹念に描きこまれた画面からは、太陽の光、木や葉の影の反射、風による水面のさざなみなど、時々刻々と変化し続ける水面のようすが伝わってきます。


■エピソード
1920 (大正9)年、児島虎次郎は、親友の画家斎藤豊作とパリ郊外のジヴェルニーに住むモネを訪ねました。当時モネは79歳。白内障でほとんど視力がなく、キャンバスに顔をくっつけるようにして描いていました。
モネは、すでに一流と呼ばれる画家でした。児島はもちろん、多くの画家にとっても雲の上の存在でした。そしてモネは、浮世絵の大胆な構図や色彩を愛し、自宅の庭に日本式庭園をつくる親日家としても有名でした。
そこで児島たちは、「日本の絵描きのために是非作品を譲って欲しい。」と熱心に頼みました。一流の画家には画商を通して交渉するという通例にならわず、直接モネと交渉したのです。
モネは熱心にたのむ日本人に心を動かされたのでしょうか、「今は大作に取りかかっている。(注1) 1か月したらまた来なさい。」といって絵を譲る約束をしてくれました。(注2)
1か月後、再び訪ねていくと、モネは「日本の絵描きのために」と「睡蓮」をはじめ数点用意していました。児島は、その中からこの「睡蓮」を選んだのです。
2000年6月下旬、大原美術館にジヴェルニーにある「モネの庭の睡蓮」が株分けされてやってきました。
毎年6月頃〜10月頃まで私たちの目を楽しませてくれることでしょう。作品を鑑賞した後、池に咲く花を楽しんでみてはいかがでしょうか。

注1:児島虎次郎の日記より 「大作に従事す。二メートルの高さにて、幅四メートルのパノラマ式三十枚ことごとく、氏の庭園の一部を描きしもの」とある。現在パリのオランジュリー美術館にある「大睡蓮」と思われる。
注2:このとき児島は、日本から牡丹の苗を送る、といってモネを喜ばせたと、日記に記している。