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アマン・ジャン 「髪」
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭」
エル・グレコ 「受胎告知」
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女」
クールベ 「秋の海」
クラウス 「二月」
ゴーギャン 「かぐわしき大地」
コッテ 「老馬」
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景」
シニャック 「オーヴェルシーの運河」
シャヴァンヌ 「幻想」
セガンティーニ 「アルプスの真昼」
セザンヌ 「水浴」
セザンヌ 「風景」
デルヴァン 「連馬」
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー」
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子」
ドニ 「波」
ピサロ 「りんご採り」
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭」
ブールデル 「ベートーベン像」
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
ホドラー 「木を伐る人」
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女」
ミレー 「グレヴィユの断崖」
モネ 「睡蓮」
モネ 「積みわら」
モロー 「雅歌」
ラファエリ 「アニエールの街路」
ル・シダネル 「夕暮の小卓」
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村」
ルノワール 「泉による女」
レールマン 「小径」
ロダン 「カレーの市民―ジャン=デール」
ロダン 「説教する聖ヨハネ」 |
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■解説
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー(1796-1875)は、パリ生まれ。父は布の卸売業者、母は有名な婦人帽子店をいとなむ裕福な家庭に育ちました。父の仕事をつぐように教育をうけたものの、彼の関心は絵にありました。1822年、26歳のとき、ようやく両親は彼の希望をききいれ、同時に一生の間、生活に困らないように年金を保証しました。これによって、彼は生活の心配をすることなく、絵に打ちこむことができたのです。
コローは非常に自然を愛し、戸外でさかんにスケッチをおこないました。1825年から約3年にわたるイタリア留学でも、野外写生に熱心に出かけています。そして明るい色彩で、外光にみちた風景を表現する技術を獲得。この後も、2度イタリアに旅行しています。
コローは戸外のスケッチをもとにして、アトリエでじっくりと制作に取りくみました。彼の絵が、整然でバランスがよく、静かな落ち着きにみちているのは、彼自身が風物の配置の再構成をしているためです。彼はまた、屋内で描いたすぐれた肖像画ものこしています。「真珠の女」(1868-1870年、ルーヴル美術館蔵)などは、人物をくわしく観察し、その表情をよくとらえた作品です。
この「ラ・フェルテ=ミロンの風景」は、パリの北東部に位置する小村で描かれました。小さな作品ですが、田園風景の空間の広さをみごとにあらわした作品といえるでしょう。画面左の積みわらと農婦から、右の牛と農夫へ。さらに木立から城館へと、絵の鑑賞者の視線が自然に奥にみちびかれるように工夫しています。
(参考文献)
「コロー」 (美術出版社) 1974年 |
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