一光三尊仏像”

■解説
この「一光三尊仏像」が制作されたのは、中国で仏教がもっとも盛んだった北魏時代(386-534年)です。 中央に本尊、左右に菩薩が配され、両側面・光背には仏や神などが浮彫されています。造像様式は、面長でほっそりとした体躯が特徴の正光様式で、衣もすっきりとした表現となっています。
もとは河南省新郷県の魯堡村の百官寺に祭られていたものです。かつては光背部分が完全で、台座もあり、4mを越える大きさであったと言われています。


■エピソード
児島虎次郎は、生涯でヨーロッパに3回のほか、中国・朝鮮半島には4回も出かけています。そこでは、スケッチだけでなく仏像や古美術の収集などにもあたりました。
この「一光三尊仏像」は、大阪・住吉の大原孫三郎宅の後ろにあった小高い丘に、祠をつくって祭られていたそうです。 大原總一郎は、この仏像をなんとか倉敷に運びたいと考えていましたが、あまりの大きさにその術を見出せずにいました。
あるとき、名古屋で仏像の展覧会があるので借用したい、という依頼がありました。總一郎は、「展覧会が終わった後、倉敷まで運んでくれるのならお貸しします。」といって貸し出しました。(注1) このようないきさつがあって、展覧会の後、約束どおり倉敷にこの「一光三尊仏像」が倉敷にやってきたのです。
なお、この仏像は河南省新郷県魯堡村の百官寺にあったもので、魯堡村の国民学校の修理費に充てるため売却すると言う国民学校の校長の証明書がついています。(注2)


注1:昭和33年4月17日~5月5日、愛知県美術館で開催された「東洋美術文化展」。
注2:倉敷考古館研究集報 第5号 北野正男著 「北魏の一光三尊仏立像」より


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