流離抄板画柵 孤狼の柵”

■解説
棟方志功(1903-1975)は、岡本かの子、谷崎潤一郎、宮沢賢治など、文学者の詩句をモチーフとした作品を、数多く制作しています。 それらの作品では、棟方が詩句からうけた感動がそのままに表現されています。
「流離抄板画柵」には、吉井勇(注1)の歌集「流離抄」から吉井自身が選んだ歌31首がしるされています。 「流離抄」は、吉井が1945(昭和20)年に富山県八尾に疎開したときによんだ詩をあつめた歌集です。棟方も同じころ富山県福光に疎開していました。 そのため棟方には共通の感慨があったらしく、詩を大声でうたいながら制作したといわれています。
この「孤狼の柵」には、「夕ざれば狩場明神あらはれむ山深うして犬の聲する」の詩句がきざまれています。 作品全体には、紙の裏から彩色がほどこされ、ユーモラスな造形のキツネとオオカミと文字が一体となって、独特の世界をつくりだしています。(注2)


注1:吉井勇(1886-1960):歌人、劇作家
注2:参考文献:
「棟方志功全集第5巻 詩歌の柵(1)」 (講談社) 1978年

■エピソード
棟方と大原總一郎との出会いは1938(昭和13)年12月、2年間の欧米視察から帰国した、總一郎・真佐子夫婦のために、倉敷市酒津の大原家別邸「無為村荘」で開かれた園遊会でした。 棟方は、当時大原家と親交のあった民芸の人を通して、河井寛次郎とともに招かれました。
總一郎は、視察の途中訪れたロンドンの画廊ですでに棟方の作品と出会い、深く感銘を受けていました。 棟方本人に会い、自分にはない燃えるような激しい性格を見出したのか、總一郎は一目で気に入りました。 そして「大原家の襖絵を描いて欲しい。」と頼んだのです。
当時無名だった棟方は、その申し出に感動し、それから何度も倉敷に来ては「五智菩薩図」「御群鯉図」「風神雷神図」などの肉筆画を描き、大原家に納めました。 それ以降、總一郎と棟方の交流は總一郎が逝去するまで続きました。總一郎が亡くなったとき、棟方は總一郎が好きだった鷹の絵を一晩で描きあげ、霊前に供えました。
大原美術館にある棟方の作品の多くは、よき理解者であり、支援者でもあった總一郎と棟方の信頼関係から生まれたのです。

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