美尼羅牟頌板画柵”

■解説
棟方志功(1903-1975)は、青森県青森市の鍛冶職の家に生まれました。小学校卒業後は家業を手伝っていました。
18歳のとき、ゴッホ「ひまわり」の原色版を見て感動し、「日本のゴッホ」になることを決意、油絵を描きはじめます。そして、画家としてさらなる飛躍をめざし、1924(大正13)年に上京しました。
上京後はさまざまな職を転々としながら、絵の修業にいそしみます。しかし、油絵画家としてなかなか認められず、1928(昭和3)年以降、版画を制作するようになりました。
1936(昭和11)年、国画会に出品した「大和し美し板画柵」(大原美術館、他蔵)が柳宗悦らに認められ、民芸運動の作家たちとの交流がはじまりました。 それからは代表作をつぎつぎと制作、サンパウロ・ビエンナーレ、ヴェニス・ビエンナーレなど国内外で多くの賞を受賞しました。
この「美尼羅牟頌板画柵」は、当時、合成繊維ビニロンの開発にたずさわっていた大原總一郎の依頼によって制作されました。 この作品は、もとは「運命頌」という題名でした。棟方が「ベートーベンの歓喜のような仕事をしたい」と言い、それに總一郎が「第五の運命をやってくれ」と答えたのが、その由来です。
この作品は「黎明」「真昼」「夕宵」「深夜」の4点で構成され、ドイツの哲学者ニーチェによる詩「ツァラトゥストラ」が彫られています。 「ツァラトゥストラ」は、超人を主人公にした壮大な詩です。總一郎は棟方に「日本のため世界のため、ビニロンをつくらねばならない。そのため導きの火がいるのだ。 運命という題下に、ツァラトゥストラは超人を中心人物としているのだから、超思想という大きなものを板画でつくってほしい」と依頼しました。
画面いっぱいに彫られた文字と絵からは、それぞれに大きなものに立ち向かおうとする棟方と總一郎のいきごみが感じられるようです。(注1)

注1:参考文献:
「棟方志功全集第9巻 想いの柵(1)」 (講談社) 1978年
「棟方志功展」図録 (毎日新聞社) 1998年


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