奈良公園”

■解説
降り注ぐ光の中、生い茂る木々はまるで深呼吸でもしているかのようにゆったりした雰囲気をたたえ、草をはむ鹿も水と光の恩恵をのびのびと楽しんでいるかのようです。
「これが、あの"奈良公園"?」と驚かれる方も多いのではないでしょうか? たしかに奈良公園の主ともいえる鹿はいるものの、その色といい、明るさといい、画面全体から感じられる雰囲気といい、現在私たちが思い浮かべる奈良公園―興福寺、東大寺、きれいな芝生、遊歩道、博物館―とは随分違っています。 むしろヨーロッパのどこかの森といわれた方が納得が行くかもしれませんね。
奈良公園の歴史は明治13年にスタートしますが、土木面での整備がはじまったのは大正の中ごろ。奈良県庁内に公園課が設置され、県の管理下に置かれて以降のことだそうです。 西は興福寺、東は春日山、北は東大寺、南は新薬師寺周辺まで、約660ヘクタールにわたる広大な奈良公園。 現在こそ遊歩道も整備され、芝生も生えそろい、観光客が気軽に散策できる場所となっていますが、この作品が描かれた大正13年頃はまだ、社寺の境内も荒れ、松林や森のような所が多かったようです。
この作品の横幅は約14メートル、大阪上本町の大原家別荘の壁画として描かれました。児島作品の中でも飛びぬけて大きなもので、彼の他作品につなげて考えるのがやや難しいように思えるかもしれません。 でも、10メートル級とはいかないまでも、実は児島はこのような横長の大画面をいくつか手がけているのです。 …さて、おわかりですか?… そう、屏風です。日本画と油絵、技法は違うものの、この奈良公園と児島の屏風作品は多くの共通点を持っています。桜や楓の巨木を大きく配し、その脇に人や動物の営みを小さく添える。そしてこれらに降り注ぎ、こぼれる光。それらはけして名所絵的なものでも、通り一遍の風景画でもなく、まさに、「自然賛歌」ともいうべき喜びにあふれています。これらの作品を並べて考えるとき、奇異に思えた「奈良公園」の明るさも、雰囲気も、けして不思議でも、突飛でもないことがわかってくるのです。児島は、日本の名所奈良公園を描きたかったのではなく、奈良公園の自然の美しさを描きたかったのではないでしょうか。
家の中にこんな絵があったら…絵の前で大きく深呼吸をして、自然の素晴らしさに思いを馳せて…世の中の憂さも忘れてしまえるようなひとときを過ごせるのではないでしょうか。

■エピソード
大原孫三郎は大正末期から昭和の初めまで、大阪市上本町に別邸を構えていました。 この作品はその応接室の壁面を飾るため、制作を依頼されたものです。
部屋の3方の壁面にコの字がたに並べられ、この作品の向いにはアマン=ジャンの「ヴェニスの祭」が飾られていました。
児島は、
「傍らにアマン=ジャンの壁画があるので、それと対照して色が明快に過ぎ、全般に調子が強いので修整したが、三枚続きの長いものであるため調整に苦心する。」
と日記に記しています。


<参考文献>
児島直平 『児島虎次郎略伝』 (児島虎次郎伝記編纂室)



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