憩”

■解説
児島虎次郎(1881-1929)の1919(大正8)年から1921(大正10)年までの、約2年にわたる2度目のヨーロッパ留学には2つの目的がありました。その1つが自分の絵の修行。 もう1つは、彼が大原孫三郎に進言した西洋絵画の収集です。この2つの目的を果たすため、児島は精力的に活動しました。 パリでアトリエを購入して熱心に制作。その合間に画廊めぐり、各地の美術館の見学、モネやマティスをはじめ多くの画家たちのアトリエへの直接訪問。 彼は多くの作品を見て、名画購入のための鑑識眼をやしなったのです。
児島は制作した作品を友人の画家アマン=ジャンに見てもらい、指導をあおいでいました。 アマン=ジャンは、当時、国民美術協会(サロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)で活躍中。 彼は児島のサロンへの出品についても助言しました。 そして1920(大正9)年の展覧会で、児島が出品した4点のうちのひとつ「秋」(パリ、ポンピドー近代美術館蔵)は、フランス政府の買上げの栄誉を受けることとなったのです。 こうして児島は日本人として初めての国民美術協会の正会員となりました。
1920年制作の「寓憩」は、児島の忙しくても充実した時期に描かれた作品。窓の風景から推測すると、パリのアトリエで描かれたのでしょう。モデルの女性の手にはバイオリン。 背後にはバイオリンケースと楽譜も描かれています。児島はベルギーでバイオリンを学んだことがありました。描かれているのは彼の物でしょうか。 背後の壁にかけられたアマン=ジャン作「二人の女」、山積みにされた本からも、パリでの彼の生活がうかがえます。
この作品は、調度品の赤、モデルの衣裳の黄、背景の壁の色…と色彩にあふれています。 印象派風の点描を経て、みずからの画風の確立へと制作にはげみ、模索しつづけた彼の力がこめられた作品です。

<参考文献>
児島直平 『児島虎次郎略伝』 (児島虎次郎伝記編纂室)

■エピソード
児島が2度目の渡欧の際に描かれた作品です。児島が当時住んでいた、パリ市内14区エルネスト・クレソンにあるアパートの5階の一室で描かれました。
窓から遠くの方にエッフェル塔が見えています。 また、画面の右上に壁に掛けられた絵があるのがおわかりでしょうか。
この絵は、近年、児島が実際に購入したアマン・ジャンの「二人の女」という作品であることがわかりました。


<参考文献>
児島直平 『児島虎次郎略伝』 (児島虎次郎伝記編纂室)



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