雲のある自画像

■解説
萬鉄五郎(1885-1927)は、現在の岩手県和賀郡東和町で生まれました。幼少期には日本画を学びましたが、ついで水彩画に興味を持つようになります。 1903(明治36)年、中学入学のために上京。在学中に白馬会洋画研究所で学びました。
中学時代より、萬は禅宗の寺で参禅するようになり、中学卒業後の1906(明治39)年、布教活動のための禅宗の一団に加わって、半年間アメリカに渡ります。
帰国後、萬は東京美術学校西洋画科に入学。在学中からアブサント会を結成するなど意欲的な活動を行います。 1912(明治45)年、萬は美術学校の卒業制作として「裸体美人」(東京国立近代美術館蔵)を完成させます。 「裸体美人」は、鮮やかな色彩で平面的に描かれ、日本のフォーヴィスムの先駆的作品といわれています。この美術学校卒業の年、萬は斎藤与里、岸田劉生らとともにフュウザン会を結成。 フュウザン会は後期印象派やフォーヴィスムに興味を持った若い画家たちの集団でした。
1914(大正3)年、萬は1年半あまり郷里に戻ります。この時期から、キュビスムに通じる、面によって構成された作品を描くようになりました。
萬は、生涯を通じて多くの自画像を制作しました。この「雲のある自画像」は、フュウザン会時代に描かれた作品です。左右の赤と緑の雲が思索的な暗示を与えているかのようです。


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