
■解説
関根正二(1899-1919)は、現在の福島県白河市に生まれました。9歳の時、父の仕事にともない、東京に移り住みます。
小学校の同級生に、のちの日本画家の伊東深水がいました。
15歳の時に深水の紹介でつとめた印刷会社でアイルランドの作家、オスカー・ワイルドの思想を知るなどの芸術的な刺激、甲信越方面へ放浪した時の長野市在住の洋画家河野通勢との出会いなどをとおし、
関根は独学で独自の絵の世界を切りひらいていきました。
1915(大正4)年、関根は初めて二科展に出品します。その時に特別出品されていた安井曽太郎の作品を見て、色彩や構図の重要性を意識しはじめるようになりました。
この「信仰の悲しみ」は、「姉弟」(福島県立美術館蔵)、「自画像」とともに1918(大正7)年の第5回二科展に出品され、樗牛賞を受けた関根の代表作です。
関根が幻想に見た女性たちを描いたもので、関根自身がこの作品について「朝夕孤独の淋しさに何物かに祈る心地になる時、ああした女が三人又五人私の目の前に現れるのです」と語っています(注1)。関根が好んでもちいたヴァーミリオン(朱色)が女性の衣などにつかわれ、幻想的な雰囲気をたかめています。
関根はこの作品を描いた約1年後の1919(大正8)年、20歳の若さで病気のため亡くなりました。
注1:参考文献:
「生誕100年 関根正二展」 (神奈川県立近代美術館、福島県立美術館、愛知県美術館) 1999年
■エピソード
これは、20歳で夭折した関根の、19歳のときの作品です。大原美術館に展示されている作家のなかでは、最年少です。
東京のあるコレクターが持っていたもので、1964年、東京画廊の山本孝が譲ってもらい、大原美術館に持ち込みました。
その当時、梅原龍三郎や安井曽太郎などの画家が、黒田清輝や藤島武二などを凌駕するほどの人気だったので、若くして亡くなった関根は、あまり評価されていませんでした。
山本がとりあえず倉敷に運ぶと、大原總一郎は数日眺めたあと購入しました。
「大原さんはこの作品をことのほか気に入り、『関根の数少ない絵の中でも傑作だから、大切にするように。』と言っていた。」と藤田慎一郎(注1)は当時を振り返っています。
注1:大原美術館元館長、現在同相談役。