陽の死んだ日

■解説
小出楢重(1887-1931)は大阪市出身。はじめ、東京美術学校日本画科に入学しますが、のち西洋画科に転じます。 1919(大正8)年初めて二科展に出品し、自らの家族をモデルにした作品「Nの家族」(大原美術館蔵)で樗牛賞を受けました。 1921-22(大正10-11)年、半年間フランスに留学し、自らの画家としての道を見いだします。 帰国後は二科会員となり、後進の指導にも尽力しました。
大正末からは、静物や風景のほか、裸婦をテーマとした作品の制作に取り組むようになります。 日本女性の美しさを好み、その表現を徹底的に追求しました。
その小出の研究の成果は、この「寝台の裸婦」に結実しています。 勢いのある太い輪郭線、油絵具の質感を生かした素肌の表現によって、女性の体の量感としなやかさがみごとに表されています。

■エピソード
この作品は、1951(昭和26)年東京画廊の山本孝が持ち込んだのを、三橋健(注1)と藤田慎一郎(注2)が、大原美術館で購入するように大原總一郎に強く勧め、収蔵されることになりました。
最初、總一郎は「小出はいい画家ではあるが、こんななまめかしい作品はいらない。」と突っぱねました。 それでもふたりは「小出は裸でなきゃだめなんです!」とくいさがりました。
總一郎が「勝手にしなさい!」と言ったのをOKだと解釈し、作品を購入することになったのです。(注3)
この作品は、總一郎が購入した最初の裸婦像だと言われています。
注1:洋画家、大原美術館評議員。1977年没。
注2:大原美術館元館長。
注3:藤田慎一郎氏より直接聞く。

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