モロー

雅歌

■解説
華麗な宝石細工を思わせる硬質な色彩の輝きを持ったギュスターヴ・モロー(1826-1898)の作品は、実証的、自然主義的傾向の強い19世紀後半のフランスに、 多彩な異国の花のような妖艶な美の世界を繰り拡げて見せた。 パリの建築師の息子として生まれた彼は、美術学校に学んだ後、イタリアに旅行して、ヴェネツィア派やミケランジェロの影響を受けたが、 過去の巨匠たちに対する博い知識と深い尊敬の念にもかかわらず、生涯を通じて、自己の心の中の映像世界を守り続け、自己の夢に忠実であり続けた。 彼の描き出す作品は、旧約、新約の聖書の世界、あるいは古代の神話や伝説に想を得たものが大部分だが、彼は、単に物語の絵解きをするだけではなく、 物語に触発されて自在に想像力を飛翔させ、豊麗なイメージのなかにそれを結晶させるのである。 イタリア滞在時代の風景スケッチや、パリのギュスターヴ・モロー美術館に残されている数多くの人物デッサンを見てみると、彼が優れた観察眼の持主であったことは明らかであるが、 しかし彼は、眼の前の自然の姿をありのままに再現するだけでは決して満足できなかった。 モローにとっては、美の世界は、現実を離れた想像力のなかにこそ存在する。 「私は眼に見えるものも手に触れるものも信じない。眼に見えないもの、ただ感じ得るものだけを信じる」という彼の言葉は、画家としての信条告白であると同時に、 彼の美学宣言と言ってもよいであろう。
 このようにして、繊細な感受性に支えられた彼の華麗な夢の世界が織り出される。 旧約聖書の「ソロモンの雅歌」に霊感を得たこの作品も、華やかな飾りをつけた花嫁の姿を借りながら、彼自身の理想の美を定着して見せたものである。 紅白の百合の花を手にしながら、どこか哀愁を湛えた端麗な顔をやや媚びるように傾けて華麗な邸館のテラスに立つこの花嫁の姿は、サロメや、ガラテアや、ダナエと同じく、 モローが生涯を通じて追い求めた夢の女の一人にほかならない。 画面右手奥に見られる蒼い町は、彼が愛した異国情趣豊かなヴェネツィアの思い出を宿しているのだろうか。ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル、ウジェーヌ・ドラクロワ、 テオドール・シャセリオーと受け継がれて来た華麗な東方世界への憧れは、モローによって、新しい官能の夢に昇華させられ、西欧世紀末を鮮やかに彩ることになるのである。


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