モネ

積みわら

■解説
クロード・モネ(1840-1926)は、生涯にわたって、光とその物におよぼす色彩の変化を追い続けました。 朝、昼、夕、夜と光の強さは時間ごとに変化します。戸外で実際の風景を見て制作することを信条としたモネは、時間ごとにキャンバスを取り替えながら制作しました。このような方法で描かれたのが、1888年から描かれた30点にものぼる「積みわら」の連作です。
この「積みわら」は、モネが1885年に描いた「積みわら」の3点のうちの1点です。 1888年以降に描かれた「積みわら」の連作では、積みわらにおよぼされる光の効果に焦点が当てられ、まわりの風景にあまり関心は払われていません。 しかし、この「積みわら」では、積みわらのみならず、明るい空や風になびく雲も描きこまれています。 前景のふたりの人物はモネの後妻であるアリス・オシュデとモネの息子ミシェル・モネと推定されています。(注1) ※大原美術館所蔵のモネ作品は、「積みわら」と「睡蓮」の2点。
注1:参考文献:
「印象派展」図録 (群馬県立近代美術館) 1994年
「モネ展」図録 (中日新聞社) 1994年

■エピソード
この作品は、もともとは松方コレクション(注1)のひとつでした。 松方はパリの一流画廊で壁にかかっている絵を、「あの絵をくれ。」「これもだ。」といいながら一度に10点~20点ほどをステッキで指し、 「全部でいくらだ。」という風に、豪快な性格そのままに絵を買い集めていました。 「松方がゴーギャンを買う。」という噂が流れると、各画廊にゴーギャンが集まったといいます。
松方は、児島虎次郎とほぼ同時期にパリで活躍していましたが、その収集作品のゆくえは対照的なものとなりました。 第一次世界大戦後の不況で川崎造船所は倒産し、松方の膨大な収集品は散逸しました。(注2) 松方は、夢見ていた「共楽美術館」建設を断念せざるを得ませんでした。
「積みわら」は、松方の手を離れ愛好家のあいだを転々としたのち、1978(昭和53)年に大原美術館へやってきました。
注1:松方幸次郎(1865-1950)、薩摩出身の元勲であった松方正義の三男で、川崎造船所社長。 フランス・ソルボンヌ大学で学び、パリの社交界にも出入りしていた。 その西洋絵画コレクションは2000点にのぼり、海外に流出していた浮世絵8000点を買い戻した。
注2:散逸したコレクションのうち、パリのロダン美術館に保管されていた428点の作品は残った。 第二次世界大戦後、フランス政府の好意によって、そのうち371点が日本政府に返却された。 1959(昭和34)年、東京上野に開館した国立西洋美術館は、当初この松方コレクションを展示するのが目的であった。


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