ミレー

グレヴィルの断崖

■解説
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は、フランス北部ノルマンディー地方の小村グリュシーに生まれました。 1933年、両親の賛同を得て、画家となるための勉強をしに、港町シェルブールに出向きます。その後パリの美術学校へと進み、1840年にサロン初入選をはたしました。
アカデミーの画家たちに学んできたため、当初はロココ風の華やかな画風でしたが、しだいに労働者、農民なども描くようになります。 その傾向は、1849年に家族をともなってバルビゾンに移り住んでから、いっそう強くなりました。 バルビゾンは、パリからおよそ60km南に位置するフォンテーヌブローの森のはずれにあり、農地や森に恵まれた土地でした。 この地で、ミレーは有名な「落ち穂拾い」「晩鐘」(共にオルセー美術館蔵)などを制作しました。
「グレヴィルの断崖」は、ミレーの故郷グリュシー村の近くにあります。 晩年にいたるまで、ミレーは郷愁をもってこの断崖を何度も描きました。 パステルで描かれたこの作品では、外光にあふれた自然の美しさが、丹念に描きこまれています。

■エピソード
児島虎次郎は、1922(大正11)年パリの画廊でこの作品と出会いました。 パステルで描かれていますが、ミレーは油彩画の大作に仕上げるつもりだったといいます。 農民たちの勤労生活や美しい田園風景を描いたミレーは、児島にとって憧れの画家であり、まばゆいばかりの存在でした。 東京美術学校時代、児島は下宿していた自分の部屋の壁にミレーの木炭画の自画像を模写したものを掛け、それを励みに勉強していました。
バルビゾンにあるミレーの住んでいた家は、現在「ミレー記念館」として、多くのミレーの愛好家たちをひきつけています。 その記念館のなかの一角には、「この家を訪れた画家たち」として、ミレーのアトリエを訪れた画家たちの名前や写真を展示しているコーナーがあります。 ここにかつて訪れたことのある児島虎次郎も、写真とともに紹介されています。


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