ホドラー

木を伐る人

■解説
フェルディナント・ホドラー(1853-1918)は、スイスのベルンで生まれ、主としてジュネーヴで絵画を勉強した。 すでに23歳の時、ジュネーヴの美術協会のコンクールで第一席の賞を得ている。 しかし、彼が本当に自己の様式を見出すのは、1878年から1879年にかけてフランス、スペインに旅行した後、1880年代にはいってからである。 事実、マドリードでの滞在は、プラド美術館で過去の巨匠たちの作品を研究することを可能ならしめてくれたと同時に、南国の明るく力強い色彩の効果をも教えてくれた。 そして、最初、伝統的な写実主義的画風から出発した彼は、次第に、自己の内面のヴィジョンを対象に託して表現する瞑想的、神秘的傾向に向うようになった。 その到達点のひとつが、大作《夜》(1890年)である。 休息、夢魔、愛など、夜のもたらすさまざまの状態を象徴する男女像を大胆な装飾的構成にまとめ上げたこの作品は、1891年、ジュネーヴ市の展覧会への出品を拒否されたが、同年、パリのシャン・ド・マルスの展覧会に出品されて、 ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの熱烈な讃辞を得、それを契機として、ホドラーは、ソシエテ・ナショナル・デザルティスト・フランセの会員に推された。 この時以来、彼は、19世紀末にヨーロッパ諸国に共通して見られる象徴主義的傾向の代表的旗手の一人となり、国際的に広く名を知られることとなったのである。
 《夜》がそうであるように、ホドラーの作品は、明確な個々の形態の組合わせによって、人間の心のなかの神秘の世界を造形化しようとする意図を持っている。 この《木を伐る人》にしても、一見単純な写実主義の作品のように見えながら、大きく踏ん張った両脚と斜めに高く振り上げた両手の無駄のないポーズと、そのポーズだけをクローズアップした明快な構成とによって、何よりも力強い緊張感を見事に表現している。 ホドラー自身、この作品に「力」という題名を与えるつもりであったという事実が、彼の象徴的意図をよく表わしているだろう。
 もともとこの作品は、1907年、スイス国立銀行から紙幣のデザインを依頼された時に想を練った構図のひとつで、それは、多少変化したかたちで、第一次世界大戦前のスイスの五十フラン紙幣に、実際に利用されている。


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