フレデリック

万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん

■解説
レオン・フレデリック(1856-1940)は、ベルギーのブリュッセル生まれ。 ブリュッセルのアカデミーで、絵を学びました。受賞者にイタリア留学が許可されるローマ賞に応募したものの、落選。 みずから1878年から翌年にかけて、イタリアに留学し、初期ルネサンス美術に影響されました。
帰国後、フレデリックは美術サークルに参加。自然主義、つづいて象徴主義に影響を受けながら、宗教画を中心に活躍します。   フレデリックは、徹底した写実的な画風に特徴があります。1880年代なかばころからは、農村や労働者の生活を、うつくしい自然描写とともにたびたび描きました。 三幅対や、数枚のパネルにスケールの大きな構想で描かれた作品は、圧倒的な迫力で見る者にせまってきます。
この「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」は、25年かけて描かれたフレデリックの代表作です。 『人類は神の怒りをかい、炎にまかれ、岩に打ちのめされて死に絶える。そこへ神の使いである白鳩が福音を持ってくる。そして、神の愛のもとに人類すべてが復活する』というキリスト教の物語が左から右へと展開していきます。
作品の細部に目をこらしてみて下さい。寺院、十字架像、善悪をはかる天びんなど、キリスト教を象徴するさまざまな事物が描かれていることに気づかされます。 作品中には、数えきれないほど多くの人々の姿が描きこまれています。この入念な描き方に、フレデリックのこの作品への思い入れを感じとれることでしょう。
(参考文献)
「世界美術大全集 第24巻:世紀末と象徴主義」 (小学館) 1996年
「オルセー美術館展1999-19世紀の夢と現実」図録 (日本経済新聞社) 1999年

■エピソード
この作品は、1923(大正12)年に児島虎次郎が直接フレデリックのアトリエを訪ねて買ったものです。 1922年にアントワープの展覧会に出品されており、展覧会を見に行った虎次郎の記憶に残っていました。
「彼の代表作として残るであろう」と考えた児島は、手放したくないというフレデリックに特別に頼んで譲ってもらうことにしたのです。 そして、この作品が児島のヨーロッパでの最後の買物になりました。後に大原美術館を建設する際、7枚にわたるこの作品が建物の横幅を決めたと伝えられています。
最初の1枚目から最後に描き上げた7枚目の作品まで、実に25年もの歳月が経過しています。 その間、1914年に第一次世界大戦が勃発し、この戦争でフレデリックはお嬢さんを亡くしました。 右半分の作品の中央に5人の少女が花冠を被って座っている姿が描かれていますが、そのうちのまんなかの少女が亡くなったお嬢さんだと言われています。 そして、その絵の左下には制作年、サインとともに「親愛なる娘ガブリエルの為に」と書かれています。
フレデリックは、作品の左半分で戦争の愚かさとその犠牲となった人々の悲しみを、右半分で愛する娘と犠牲となった人々が神の国で復活できるようにとの願いを表したのではないでしょうか。
この作品からは、戦争に対する憤りや深い悲しみ、平和への希望が伝わってくるようです。


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