ピサロ

りんご採り

■解説
印象派の仲間たちのうちで、カミーユ・ピサロ(1830-1903)は、いささか特異な地位を占めている。 ポール・セザンヌ、アルフレッド・シスレー、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール等が、いずれも1840年前後の生まれであるのに対し、ピサロだけは彼らよりもほとんど10歳も年長であり、 その上、温厚な人柄であったこともあって、いわばグループのまとめ役として重要な役割を演じたのである。事実、1874年から1886年まで、前後八回にわたって開かれた印象派グループ展に、一回も欠かさずに参加したのは、ピサロただ一人であった。
 もともと彼は、西インド諸島のサン・トマに生まれ、最初は父の経営する商社の手伝いをさせられていたが、どうしても画家になりたくて、1852年、ベネズエラに出奔した。最初は画家に反対していた父も、息子の決心の固いことを知って遂に諦め、彼が画家になることを許した。 その結果、彼は1855年、ちょうど万国博覧会の開かれていたパリに赴いて、画家修業をすることになったのである。  パリでは、当時大いに話題になっていたギュスターヴ・クールベの写実主義に惹かれ、また一時ジャン=バティスト=カミーユ・コローの弟子ともなったが、1859年にモネと知り合うに及んで、次第に「前衛的」な方向に進み、1860年代の末には、パリ近郊のポントワーズに住んで、 戸外の明るい光のなかで直接制作するいわゆる「外光主義」を実践するようになった。その時の経験と交友関係から、やがて印象派のグループが生まれて来ることは、広く知られている通りである。
 ピサロの作品の何よりの特色は、画面全体を明るく輝く華麗な色彩の筆触で覆ってしまう綴織りのようなその画法であろう。 この《りんご採り》においても、やや斜め上から見下したような俯瞰構図で画面のほとんどを地面で覆い、そこで働く三人の人物も含めて、全体を明るいタッチの織りなす充実した色彩世界に変えてしまっている。 モネやシスレーが空気や水の世界に強く惹かれたのに対し、ピサロはもっぱら大地とそこで働く人々の姿に共感を寄せているが、ほとんど空の部分が見えない大胆な構図と、画面の隅々まで鮮烈な色彩のタッチで埋め尽くしたこの作品は、「大地の印象派」と呼ばれ、「色彩の魔術師」と言われたピサロの特色を、 きわめてよく示す傑作である。

■エピソード
この作品は、大原美術館が開館してから11年後の1941(昭和16)年に購入されました。 ピサロの作品としてはすでに児島虎次郎が購入した《ポントワーズのロンデスト家の中庭》が所蔵されていましたが、本作は、まさに ピサロの代表作であり、印象派グループ展の最後となった第八回展に出品されたという点で、印象派の歴史を語る上でも重要な作品です。
当然のように売主から提示された金額は高額でした。間もなく太平洋戦争開戦という世相のなか大原美術館の入館者は数えるほどしかいません。 それでも、本作の入手を決意した大原美術館は、児島虎次郎がヨーロッパで収集してきた作品十二点と交換して、やっとこの作品を手に入れることができたのです。

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