ドニ

波

■解説
モーリス・ドニ(1870-1943)は、北フランス・ノルマンディ地方の町グランヴィル生まれ。 パリのリセ・コンドルセヘ進学し、そこでルーセル、ヴュイヤールと出会います。さらにアカデミー・ジュリアンで学び、ボナールやセルジエと知りあいました。
1888年、フランス北西部のブルターニュ地方に滞在したセルジエは、友人の画学生エミール・ベルナールに、ある画家に紹介されました。その画家の名は、ポール・ゴーギャン。 セルジエは、ゴーギャンの指導を受けて制作した作品をパリに持ち帰り、友人たちに見せました。セルジエからゴーギャンの芸術観を聞いたドニたちは、その考えに共鳴。そして、同年、ナビ派を結成したのです。
ナビ派とは、ヘブライ語で預言者の意味。彼らは、輪かく線を重視しながら、作品を平面的に構成し、純粋な色彩をもちいました。そうすることによって、彼らの作品では装飾的な面が強調されたのです。 そして、彼らの活躍は、劇場や教会の装飾、ポスターの制作などへ広がっていきました。
ドニは作品の制作ばかりだけでなく、理論でナビ派をささえる重要な役割をはたしました。イタリアにもたびたび出かけ、ルネサンス期の古典美術に影響をうけた作品も制作しています。 また日本の浮世絵を通して、日本美術の影響もうけました。
この「波」は、ナビ派結成から約27年を経て制作された作品です。この頃、ドニは宗教関係の本のさし絵などを中心に、はば広く活躍していました。作風からはナビ派の理論を読みとることができます。 波と岩と人物の思いきった配置は、それぞれのかたちと色彩を活かし、量感と勢いを感じさせます。

  (参考文献)
「モーリス・ドニ展」図録 (ギャラリー・アート・ポイント) 1983年
「世界美術大全集 第24巻:世紀末と象徴主義」 (小学館) 1996年
「ナビ派と日本展」図録 (新潟県立近代美術館) 2000年

■エピソード
現皇太子殿下は、大原美術館に2度お越しになっていますが、最初にお越しになったのは、まだ学習院初等科の四年生くらいでいらっしゃったころのことです。
殿下は、藤田館長(当時)の説明を受けながら作品を一つ一つゆっくりとご覧になっていました。
そしてこの作品の前で、
「この作品を描いた作者は、日本の浮世絵のような木版画の影響を受けているのですよ。」
「(安藤)広重でしょうか?」
「(葛飾)北斎でしょうね。この力強い波は富嶽三十六景の「神奈川沖波裏」のようですし、岩肌の赤い色は「赤富士」のようですよね。」
「なるほど。」
というやり取りが交わされました。
前館長は「小学生で安藤広重や葛飾北斎の作品をご存知とは、やはりよく勉強をしていらっしゃる。」という印象を受けたそうです。
この作品は、1920(大正9)年の2度目の渡欧の際、児島虎次郎がドニのアトリエを訪ね、譲られたものです。
 
大原美術館前館長・藤田慎一郎より聞く。

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