トゥルーズ=ロートレック

マルトX婦人の肖像―ボルドー

■解説
アンリ=マリー=レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)の生涯は、少年時代の不幸な事故のため、両足を骨折して下半身の成長がとまってしまったことによって決定されたと言ってもよい。 二度にわたるこの事故がなければ、由緒あるトゥールーズ伯爵家の嫡男として、彼は馬に乗って領土を見回ったり、狩りを楽しんだりする父親と同じ生活を選んだかもしれなかったのである。 しかし、現実に自由な活動を制限されてしまった彼は、子供の頃から好きだった絵画の世界にその情熱の対象を見出した。 最初、印象派の影響を受けた地方画家ルネ・プランストーの教えを受けた後、1880年代にパリに出て、やがてモンマルトルに住みつくようになり、キャバレー、寄席、ミュージック・ホール、娼家などの庶民的歓楽街の世界を、 鋭い現実観察と正確なデッサン力によって生々しく描き出した。 事実、パリに出て間もなく、しばらくのあいだフェルナン・コルモンのアトリエに学んだことはあったが、彼のあの比類ない様式を作り上げたのは、何よりも対象の真実の姿を見抜こうとする彼の眼であった。
殊に、カドリーユやフレンチ・カンカンの激しい動き、サーカスの曲芸師や動物、競馬場の馬など、スピード感に溢れる運動の表現は、正確な観察にもとづく的確な瞬間のポーズの把握と、卓越した構図とによって、他人の追随を許さない独自の世界を生み出している。 自らその運動に参加することの出来なかった彼は、ただ観察し、表現することによって、ダイナミックな世界への自己の渇望を満たしていたのかもしれない。 アルコールに溺れ、一時は中毒症状から立ち直るために入院までした彼であったが、どんなに酔っている時でも、そのデッサンにはいささかの狂いもなかったという。 それに加えて、日本の浮世絵に霊感を得た大胆な構図は、トゥールーズ=ロートレックの作品に美術史上においても特異な地位を与えている。 特に、ムーラン・ルージュのポスターなど当時流行の多色石版による版画作品は、余人の追随を許さないものがある。
しかし、それと同時に、正統な油絵作品においても、彼は多くの佳品を残している。 例えばゆったりと大きな肘掛椅子に腰を下した婦人の姿を描き出したこの作品は、気品のある落着いた雰囲気と的確な明暗の表現とによって、きわめて印象深いものとなっている。

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