セザンヌ

風景

■解説
ポール・セザンヌ(1839-1906)は、印象派から大きな影響を受けた画家です。初期には、神話を題材とした暗い色調の作品が中心でした。しかし、パリでマネやモネたちと知り合い、また1872年から1873年にかけてピサロとともに制作してからは、しだいに明るい色彩で風景を描くようになりました。
印象派の画家たちは、空気と光の動きをとらえることを追求し、空間の広がりや構図の組立てに重きをおいていませんでした。セザンヌは自然の骨格を自らの眼で単純化し、再構成することによって、より深い画面の奥行き、ゆるぎない構図を獲得したのです。
晩年、セザンヌは故郷エクス・アン・プロヴァンスのサント=ヴィクトワール山をさまざまな方角から描き、いっそう構図や色彩の探究をふかめていきました。
この「風景」は、全体的に絵具が薄塗りで、画面の周囲は塗りのこされています。さまざまな色の面によって、家々の屋根、樹木が表現されています。色の面を目で追っていくと、画面奥へと視線がしだいに引きこまれていくようです。

 

■エピソード
この作品は、白樺同人が「白樺美術館」の建設を目的に皆でお金を出しあって購入したものです。美術館の設立が実現せず、長らく柳宗悦の家にかかっていたものを、セザンヌ好きだった大原總一郎が柳宗悦に懇望して、寄託というかたちで大原美術館にて展示をしていました。
しかし、白樺美術館の設立は困難であるとして、昭和43年9月8日、白樺美術館企画人を代表して、武者小路実篤、志賀直哉の両人が、これらの作品を永久に大原美術館に委託するという正式な申し入れをしました。申入書には、
「…以上の作品は白樺美術館設立の企図の下に蒐集されたものでありますが、遂にその設立を見ずして歳月を経ましたので、当館に於いては柳先生の希望に則り白樺美術館当初の御意図に副うよう努めて参りました。…(中略)…この際双方の意図を文書の上に遺し、白樺美術館同人は左記作品4点を永久に大原美術館に委託し、…(中略)…永くその意図に副いたいと存じます。」
と書かれてあります。
このことについて武者小路実篤は、大原美術館に送ってきた手紙で、
「白樺美術館をつくろうとしてあつめた寄付が未完成すぎた結果、柳宗悦、志賀直哉達の申し出があり、白樺美術館の完成はものにならない事がわかっていたので、我々が相談してこの美術館に委託したものです。…誰からも反対されなかったと思います。幸いこの美術館からも喜んでいただけ、私達の骨折も無駄にならなかった事を喜んでいるわけです。…ロダンからもらったブロンズ三つと共に美術館におさまっている事になり、私達は喜んでいる事になりました。(原文のまま)」と述べています。
このとき、セザンヌ「風景」のほかにロダンのブロンズの小作品3点も一緒に寄託されました。

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