セガンティーニ

アルプスの真昼

■解説
澄んだ高原の空気のなかで、まばゆいほどに輝く太陽の光をいっぱいに受けたのどかな放牧の風景が描かれている。 いかにも山国スイスらしい平和で明るい真昼時である。その明るい印象を強調するため、黄と青と白を中心とした澄んだ色彩が、こまかいタッチで画面を埋めている。 そこには、明らかにスーラやシニャックの新印象主義の影響が見てとれるであろう。 特に、葉を一本一本描いたかと思われるような草原の描写は、地平線がかなり高くとってあるだけに画面の大部分を占めていて、溢れるような金色の光を感じさせる。 セガンティーニがよく知っていたイタリアに近いアルプス高原の情景が、爽やかな大気の香りとともに、見事に再現されているのである。
 ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)は、そのアルプスに近い北イタリア、トレンティノ地方のアルコに生まれた。 しかし、当時この地方は、まだオーストリア領に属していてイタリアに返還されていなかったため、彼はイタリアの市民権を得ることが出来なかった。 この運命の不幸は、生涯彼につきまとい、いろいろと手を尽くしたにもかかわらず、彼は遂に正式に「イタリア人」とはならなかった。 1881年には、ミラノで、例年最も優れたイタリア絵画に贈られる「ウンベルト公賞」の候補に撰ばれながら、「外国人」であるという理由で、受賞を拒絶されている。 後に彼が、ミラノのアカデミア・ブレラから贈られた名誉称号を辞退したのも、あるいはそのことと関係があるかもしれない。 しかしながら、彼の芸術の根を養ったものは、やはりイタリア、特に19世紀後半のミラノの芸術的風土であった。 彼が正式に絵画教育を受けたのは、アカデミア・ブレラにおいてだったからである。
 セガンティーニの作品は、大きく分けて、象徴主義的傾向のものと、新印象派的傾向のものとに分類することが出来る。 いずれも、世紀末のヨーロッパにおいて、国境を越えて大きな影響を及ぼした芸術運動と結びついているが、セガンティーニは、当時すでに国際都市となりかかっていたミラノにおいて、この絵画の新風を存分に吸収したのである。 この《アルプスの真昼》は、新印象主義的傾向の代表的作品のひとつであるが、同時に、自然を見つめる彼の澄んだ眼をもよく伝えてくれる。

■エピソード

児島虎次郎は、1913(大正2)年8月発行の『美術新報』の「滞欧画談」のなかでセガンティーニについて次のように語っています。
「デルヴァン先生(注1)が、いつも私に、君は一度セガンティーニの絵を見たら敬服するだろうと、度々言はれましたので、其の画が見たくなって居たのでしたが、…(中略)…。 私は思うにセガンティーニの絵は、兎も角も褒めるという度を超えて居ます。 仏蘭西ではミレーに比べる人があるけれども、セガンティーニは、ミレーよりも一段上であるかと思います。…(後略)」。 そしてセガンティーニの作品について、「セガンティーニ以前にセガンティーニなく、セガンティーニ以後にセガンティーニなし」とさえ言っています。
児島は、東京美術学校時代、ジャン=フランソワ・ミレーに憧れ、その自画像の模写を自室に飾っていました。 そのミレー以上というからには、よほどセガンティーニに心酔していたのでしょう。 この作品は、1922(大正11)年三度目の渡欧の際、児島虎次郎が購入したものです。児島が初めてセガンティーニの作品と出会ってから11年後。 ついにその絵を購入できた感動は、とても大きかったに違いありません。

注1:ゲント美術学校の校長で児島が指導を受けたジャン・デルヴァンのこと。

 

 


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