コッテ

老馬

■解説
シャルル・コッテ(1863-1925)は、南フランスのオーヴェルニュ地方ル・ピュイ生まれ。
1882年、画家をこころざして、パリに出ました。装飾画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌなどのもとで学んだものの、彼は装飾的な画風にそまりませんでした。 彼は現実の自然を描くことに熱心にとりくみます。
1892年、コッテは、はじめてフランス北西部のブルターニュ地方をおとずれました。ブルターニュは、大西洋に面した半島です。 当時は、農村や漁村がまばらに見られる素朴な風景がひろがっていました。彼は、この地が気に入り、ここで生活する人々のようすを暗い色調で写実的に描くようになりました。 嵐のなかの漁師たち、聖霊祭に参列する敬虔な女性や子供たち。その作品には、貧しくても信仰をささえに暮らす人々への共感がこめられているかのようです。
この「老馬」も、ブルターニュ地方で描かれました。海辺のやせた土地で、やせこけた馬が草をさがし、首をのばしています。 この老いた馬の姿に、人生のたそがれにさしかかった人間の悲哀を重ねあわせることもできるのではないでしょうか。
1890年、コッテは国民美術協会(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)の創設に、アマン=ジャンとともに参加。 アマン=ジャンの仲間であるコッテの作品を、児島虎次郎は積極的に購入しています。現在、大原美術館では、コッテの油彩作品を5点、版画作品を19点所蔵しています。


(参考文献)
「国立西洋美術館名作選」 (国立西洋美術館) 1989年

■エピソード
この作品について、特別な思いをお持ちの方のお話をご紹介いたします。思えば五十数年前、私どもの若い時代は、死を思い、死を見つめ、死と対決せねばならぬ時代でした。
「永遠の決別もて別れ去りし故国に、今ふたたび再度を生きてかえ帰還る。」
これが私が長い戦場生活を了えて帰国した時の心境でした。ほとんどの街を焼かれて文字通り焼け野が原になってしまった日本。 もう再び見ることはないと訣別したあの大原美術館の前に立った時「美術館よ、よくぞ生きていてくれた」と思わず心の中で叫びました。
少年時代から憧れ親しみ、名を呼んできた絵の一枚一枚が疎開され、戦禍を免れて無事であったことを知らされた時、そのために払われた多くの方の苦労いかばかりであったかと、 その有難い御苦労に思わず両手を合わせました。美は世界を救う。まこと「吾をめぐるものすべて吾が師なり」です。
その中での、コッテの「老馬」です。
日本でただ一つ残された乗馬騎兵集団であった騎兵第四旅団騎兵第二十六聨隊、その一員であった私。
もう二度と会うことはないと訣別したあのコッテの「老馬」に、文字通り不思議にいのち生命長らえて再びめぐり会うことができた時、 馬と共に尊い命を国に捧げて散っていった戦友達を想い起こすと共に、このコッテの「老馬」の姿こそ、軍馬として物言わず戦場に斃れていった沢山な馬、 中国に残して来た四千頭を超える軍馬一頭一頭の最後の姿なのだという思いが込みあげ、涙のうちに両手を合わせました。
五十年という歳月を経た今も、この思いは全く変わりません。

「2900万人とともに」 岩橋智猛氏 「終戦五十年」より


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