ゴーギャン

かぐわしき大地

■解説
ポール・ゴーギャン(1848-1903)が、その生涯を絵画に捧げようと決心するのは、すでに30歳を越えてからのことである。

それまでの彼は、株式仲買人として、きわめて順調な生活を送っており、時に絵筆をとることがあったにしても、いわば素人画家であった。 もっとも、1870年代には、サロンに入選して批評家の絶讃を得たこともあるから、もともと優れた素質に恵まれていたことはたしかである。

しかしそれにしても、成功した実業家の地位を棄てて不安定な画家という職業に転ずるのは、よくよくの決心であったに相違ない。 自信家であったゴーギャンは、画家になっても充分妻子を養って行けると、少なくとも最初のうちは考えていたらしいが、実際には、ちょうどフランス経済の不況の時と重なったという不幸もあって、 一家は激しい生活の苦労に悩まなければならなかった。

彼らは、パリを離れて、生活費の安いルーアンに移ったが、それでも事情は好転せず、結局、デンマーク人であった妻は、子供を連れて実家に帰ってしまった。 ゴーギャン自身も、一時期のあいだコペンハーゲンで暮したが、自分の理想を達成するため、再びフランスに戻った。 この時、妻はそのままデンマークにとどまったので、ゴーギャンは、以後独りで苦難の道を歩み続けることになる。 しかし、それと同時にこの頃から、彼はようやく固有の造形世界を見出すようになって行った。
ゴーギャンのその固有の世界とは、表現の上からは、明るい色面を大胆に駆使して装飾性を強調した多彩な画面を作り上げることであり、内容的には、人間の本来の原始的な生命力を取り戻すことであった。

三回にわたるブルターニュ地方滞在の後、1891年、オセアニアのタヒチ島に渡ってから、彼の芸術は、いっきょに華やかな開花を見せた。 まだ文明に毒されていない南海の素朴な生活のなかに、彼は自己の芸術のための新しい活力を見出したのである。

タヒチに渡って間もなく描かれたこの《かぐわしき大地》は、まさしくそのような原始の生命への明るい讃歌と言ってよい。 しかしながら、生活の方は依然として楽ではなかった。

2年後、いったんフランスに戻り、再びタヒチに赴いた彼は、孤独と病気に悩み、一度は自殺を試みたりしながら、最後はラ・ドミニック島に移って、そのドラマティックな生涯を終えた。


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