クラウス

二月

■解説
20世紀のはじめ、ベルギーではフランスの印象派や新印象主義の影響の下に、光の絵画的再現に取り組む動きがありました。 この動きとこれに取り組んだ一群の画家達を「ルミニスム(le luminisme)」といいます。 クラウスはこのルミニスムを代表する画家です。
エミール・クラウス(1849-1924)はシント=エローイス=ファイアの生まれ。 アントウェルペン(アントワープ)・アカデミーに学び、はじめは褐色を多用した写実的で社会性の強い風俗情景を描いていましたが、1880年代のはじめからパリにしばしば赴くようになり、 親しく交流を持った外光派の画家アンリ・ル・シダネル(当館には「夕暮の小卓」があります)や、印象派の画家で「睡蓮」でおなじみのクロード・モネらの影響を受けました。彼らフランスの画家たちの影響は、明るい色彩と外光表現という形でクラウスの画風にあらわれ、以後、彼は光の輝きを絵にすることに取り組んでいきました。
児島虎次郎とともにクラウスに学んだ太田喜二郎の日記には次のようなクラウスの言葉が記録されています。 「もはや日が消えたから描いてはいけない。日光の射している間に俊敏に迅速に塗って日が陰ったら一筆でもつけてはいけない。すぐ帰るのだ。」クラウスの光へのこだわりが伺える言葉です。
この「冬の果樹園」にも、クラウスの光に対する特別な関心を見ることが出来ます。この作品で私たちの目を引くのは、向こう岸の並木と画面右奥の木立のあざやかな黄色でしょう。 ここでは陽の光が黄色という色彩の輝きに置き換えられています。細かく並べられた筆致の繊細さとあいまって、冬枯れの寂しさより、やわらかに射す冬の陽の暖かさを観る者に感じさせる作品になっています。
この「冬の果樹園」の制作年は、そのスタイルから1911-1912年頃と想定されています。丁度児島がベルギーで学び、クラウスにも指導を受けていた頃……児島もこのあたたかな2月の風景を見たのでしょうか……。

<参考文献>
岡部あおみ 「大原美術館コレクションの起源-日本の近代美術館の原型-」 『大原美術館紀要』第1号 2001年11月5日 財団法人大原美術館
中谷至宏 「太田喜二郎とベルギー」 『ベルギー、光との出会い(児島虎次郎と太田喜二郎展)』 1996年10月4日 成羽町美術館
『魅惑のベルギー美術展 大原美術館所蔵ベルギー作品特別公開』 2001年7月 姫路市立美術館

■エピソード
ベルギーのゲント市美術学校に入学した児島虎次郎がクラウスと出会ったのは、1910(明治43)年のことでした。
クラウスは、デルヴァン同様に 「君は大和民族としてそれだけの代表的作物を描かねばならぬ。 徒らに欧州に遊び、欧州の画風を模してはならぬ。固有なるものが発揮されぬ作物は真ではないと思う。 固有とは、その人本然の意である。深遠な画は作者の真心より出たもので無くてはならぬ。真似ごとはいけない事である」 という理解と信念のある人でした。
児島はその後何度もクラウスを訪ね、絵の批評を頼みました。そのころの代表作「和服を着たベルギーの少女」を
「此れは君が絶えず傍らにおいて新しい作品を描きたる度ごとに比べて見たらよい。画家にも音楽家の要する様に、音叉(おんさ)なるものが必要である。 此の絵は君の音叉として保存して置くべきものである」
と評したのもクラウスでした。
デルヴァン校長やクラウスなど、東洋人であるということも個性のひとつとして受け入れ、伸ばそうとする先生に出会えたことは、児島のヨーロッパ留学における最大の成果の一つだったのではないでしょうか。

<参考文献>
児島直平『児島虎次郎略伝』 (児島虎次郎伝記編纂室)


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