エル・グレコ

受胎告知

■解説
かぎりなく深い神秘的な闇に包まれた夜空に、突然眩いばかりの光芒を発して天使が登場する。 この光と闇の力強いドラマは、神の子の肉化を告げるというドラマティックな事件の舞台として、まことにふさわしい。 雲に乗って現われた天使は、右手を大きく捩(ねじ)りながら天に向け、左手に純潔のシンボルである白百合の花を持って、やや上の方から聖処女マリアを見下している。
エル・グレコ(1541-1614)の作品にしばしば見られるこの天上に向けられた手のモティーフも、場面の劇的緊張感を強調するのにきわめて効果的役割を果していると言ってよいだろう。 マリアは、書見台の前から大きく身をよじらせ、この不意の出現に驚きながらも、片手を挙げて天使を迎え、たじろがぬ視線で天使を見上げながら、しっかりとお告げの言葉を受け止める。

画面を斜めによぎるこの二人の視線の交錯こそ、全体の構図の中心であり、そこに、天上世界と地上世界の結びつきが成立する。

中世以来、「受胎告知」の主題は、数かぎりない画家たちによって描かれてきたが、そのドラマの神秘性をこれほどまで力強く表現し得たのは、 まさしく反宗教改革の時代に生きたエル・グレコの特質のなせる業である。

実際、中世末期からルネッサンス期にかけての「受胎告知」図は、天使がマリアと同じ地上に立って、あるいは高雅に、あるいは優美に、お告げの役目を果していた。 16世紀後半にいたって、例えばティントレットなどの作例に見られるように、空中に飛翔する天使が登場して来る。

このようなダイナミックな天使は、バロックの時代には普通に見られるようになるが、 それに先立って、エル・グレコは、雲に乗って夜の闇に輝くこの忘れ難い天使の姿を見事に造形化して見せた。

従来、もっぱら室内、あるいは少なくとも建物の背景の前で展開されていたこのドラマを、奥深い夜空を背景に描き出したのも、幻想画家エル・グレコの独創性を物語るものであろう。 聖霊の鳩、白百合の花、マリアの前の本など、伝統的図像表現を受け継ぎながらも、エル・グレコは、古くからあるこの主題に新生面を開いたのである。
彼の本名は、ドメニコス・テオトコプーロス。クレタ島生まれのギリシャ人で、ヴェネツィア、ローマで修業した後、スペインにやって来た。 「エル・グレコ」とは、「ギリシャ人」を意味する。東方の神秘性とスペインの表現性とを合わせた独自な画風を示した画家である。

ページトップへもどる まえへもどる