アマン=ジャン

ヴェニスの祭

■解説
エドモン=フランソワ・アマン=ジャン(1860-1936)は、パリ近郊生まれ。 ルーヴル美術館で古典美術に関心をもったことから画家をめざすようになりました。 彼と点描派の中心人物であるジョルジュ・スーラは国立美術学校の同級生。 一時期アトリエを共有するほどの親しい間柄でした。
アマン=ジャンが、勉強にはげんでいた19世紀末、パリはさまざまな美術の動きが生まれ、多くの展覧会がひらかれていました。彼も、印象派やピュヴィス・ド・シャヴァンヌなどの展覧会を観て、刺激をうけました。 そしてみずからも、新しくできた国民美術協会、薔薇十字展などの展覧会に出品しています。
アマン=ジャンは、世紀末の世相を反映した、甘美な女性像を描き、人気を博しました。 しかしながら、その画風は、新しい美術の流れとともに、しだいに時代からとり残されたものとなっていきました。
とは言うものの、アマン=ジャンと日本とのつながりは見逃すことができません。彼は、児島虎次郎にコレクション収集にあたって、多くの助言を行ないました。 松方幸次郎の姪にあたる黒木夫人の肖像画も描いていますし(注1)、松方自身もアマン=ジャンの作品を多数購入しています。
この「ヴェニスの祭」は、イタリアの都市ヴェネチアのお祭りの様子を描いた作品です。 大阪に建設された大原別邸の装飾のために描かれました。アマン=ジャンはこの作品を描くにあたって、若いころその助手をつとめて大きな影響をうけたシャヴァンヌの壁画装飾を意識したのではないでしょうか。 水辺にもうけられた舞台では、物語が展開されています。弦楽器をもつ画面中央の女性に象徴される音楽を思いうかべながら、さまざまな想像をめぐらせてみて下さい。

注1: 実業家の松方幸次郎(1865-1950)は、日本に西洋美術を紹介するため、美術館建設を目指し、ヨーロッパで美術品を収集しました。松方の死後の1959年、その収集絵画を展示するため国立西洋美術館が設立されました。 アマン=ジャン作「日本婦人の肖像(黒木夫人)」(1921年)は、現在も国立西洋美術館に収蔵されています。


(参考文献)
Patrick-Gilles Persin"AMAN-JEAN" (Solange Thierry Editeur) 1993年
「国立西洋美術館所像作品カタログ 絵画・彫刻」 (国立西洋美術館) 1997年
岡部あおみ 「大原美術館紀要第1号:大原美術館コレクションの起源」 2001年
「世界美術大全集 第24巻:世紀末と象徴主義」 (小学館) 1996年

■エピソード

1922年8月、児島は2度目の渡欧の間にアマン・ジャンを訪ね、大阪上本町に建設中だった大原家別邸の設計図と3枚の寸法書を渡し、壁画の制作を依頼しました。
児島は渡欧の直前に実際に建設現場を訪れて大原孫三郎と建築上の審議などをしています。(注2) そのときに、壁面の寸法を測ったり、アマン・ジャンに作成してもらう壁画の大体のイメージなどを話し合ったりしたものと思われます。
翌年1月、児島がアマン・ジャンのアトリエを訪ねたときには、ほぼ完成していたようですが、児島は3月にこの作品を携えずに帰国しています。 作品は、その年のパリで開催された第1回サロン・デ・テュイルリーに出品されましたが「ヴェニスの祭」という題名ではなく「奉納、日本の某大邸宅のための装飾パネル」と題されていました。(注3) その後、大原のもとに届けられ、昭和3年まで別邸の洋間の壁面を飾っていました。
大原美術館設立後は本館の2階に展示されていましたが、倉敷国際ホテル完成後同ホテルのロビーに飾られていました。 2000年10月24日から開催された、約50年前の展示風景を再現した「思い出の大原美術館」展の際に、倉敷国際ホテルより移され久しぶりに美術館で展示されました。
そして、2001年2月4日、「思い出の大原美術館」が終了。その後購入以来はじめての修復が行われ、修復家が毎日少しずつ約2ヵ月半かけて78年分の埃や汚れを落としました。
現在では当美術館の本館2階に展示され、描かれた当時の鮮やかな色彩と華やかな風景をご覧いただけます。


注2:児島虎次郎略伝より
注3:岡部あおみ 「大原美術館紀要第1号:大原美術館コレクションの起源」 2001年より

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