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青木繁 「享楽
岡田三郎助 「イタリアの少女
荻原守衛 「坑夫
岸田劉生 「童女舞姿
岸田劉生 「画家の妻
熊谷守一 「陽の死んだ日
小出楢重 「寝台の裸婦(Aの裸女)
児島虎次郎 「自画像
児島虎次郎 「里の水車
児島虎次郎 「ベゴニアの畠
児島虎次郎 「睡れる幼きモデル
児島虎次郎 「アルハンブラ宮殿
児島虎次郎 「
児島虎次郎 「奈良公園
佐伯祐三 「広告“ヴェルダン”
関根正二 「信仰の悲しみ
藤島武二 「耕到天
前田寛治 「二人の労働者
松本竣介 「都会
満谷国四郎 「緋毛氈
山本鼎 「サーシャ
吉田苞 「別府の港
萬鉄五郎 「雲のある自画像
 

■解説
佐伯祐三(1898-1928)は、現在の大阪市北区の寺の次男として生まれました。1918(大正7)年、東京美術学校西洋画科に入学します。在学中は中村彝に影響され、ルノワール風の筆致のやわらかい画風でした。
美術学校卒業後の1923(大正12)年11月、妻子といっしょにフランスに出発し、1924(大正13)年1月パリに落ちつきました。その年の夏、佐伯は自分の作品をたずさえ、かねてから尊敬していたフォーヴの巨匠ヴラマンクのもとを訪れました。佐伯の作品を見たヴラマンクは「アカデミズム!」と批判しました。このことをきっかけに、佐伯は、パリ到着以降のセザンヌ風の画風から、暗い色彩をもちいたはげしいタッチで描く画風へと変化します。やがてパリでユトリロ展を見てからは、ユトリロにならい、パリの町なみを多く描くようになりました。
1926(大正15)年、佐伯は一時帰国しますが、日本にあき足らず、1927(昭和2)年、ふたたびパリにわたります。病身をおして制作にはげみますが、30歳で亡くなりました。
この「広告“ヴェルダン”」は死の前年、パリで描かれた作品です。作品の題名になっている“ヴェルダン”は、映画の題名で、画面手前のポスターにその文字を読みとることができます。厚くぬられた画面に、机や椅子の赤や茶色、看板などの文字がおどり、渾然一体となった激しさで眼をひきつけます。