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青木繁 「享楽」
岡田三郎助 「イタリアの少女」
荻原守衛 「坑夫」
岸田劉生 「童女舞姿」
岸田劉生 「画家の妻」
熊谷守一 「陽の死んだ日」
小出楢重 「寝台の裸婦(Aの裸女)」
児島虎次郎 「自画像」
児島虎次郎 「里の水車」
児島虎次郎 「ベゴニアの畠」
児島虎次郎 「睡れる幼きモデル」
児島虎次郎 「アルハンブラ宮殿」
児島虎次郎 「憩」
児島虎次郎 「奈良公園」
佐伯祐三 「広告“ヴェルダン”」
関根正二 「信仰の悲しみ」
藤島武二 「耕到天」
前田寛治 「二人の労働者」
松本竣介 「都会」
満谷国四郎 「緋毛氈」
山本鼎 「サーシャ」
吉田苞 「別府の港」
萬鉄五郎 「雲のある自画像」 |
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■解説
児島虎次郎は、1919(大正8)年12月15日から翌年1月25日まで、留学先のパリからスペインへ旅行に出かけています。当時スペインに滞在していた洋画家の須田国太郎の案内で、スペイン国内の各地の美術館を訪問し、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコなどの作品に感銘を受けました。トレドでは、エル・グレコの住居跡の美術館にも訪れています。
児島はスペイン旅行の道中に、各地の風景、風俗を描きました。この「アルハンブラ宮殿」もその一つです。アルハンブラ宮殿はスペイン南部のグラナダにあり、スペイン最後のイスラム王朝、ナスル朝によって築かれたイスラム建築の代表的な建築物として知られています。
児島は数日間、アルハンブラで写生を続けました。その日記に「1920年1月7日快晴・午後アルハンブラへ行く。噴水の辺りを描いている時、それまで水を噴いていなかった噴水から急に太い水が高く噴き出した、実に嬉しい心地であった」と記しています。(注1)この作品中にも噴水が描かれており、異国情緒あふれる風景の中で、生命力の象徴のようにわき出ています。
注1:児島直平著「児島虎次郎略伝」 (児島虎次郎伝記編纂室) 1967年
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