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アマン・ジャン 「髪」
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭」
エル・グレコ 「受胎告知」
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女」
クールベ 「秋の海」
クラウス 「二月」
ゴーギャン 「かぐわしき大地」
コッテ 「老馬」
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景」
シニャック 「オーヴェルシーの運河」
シャヴァンヌ 「幻想」
セガンティーニ 「アルプスの真昼」
セザンヌ 「水浴」
セザンヌ 「風景」
デルヴァン 「連馬」
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー」
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子」
ドニ 「波」
ピサロ 「りんご採り」
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭」
ブールデル 「ベートーベン像」
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
ホドラー 「木を伐る人」
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女」
ミレー 「グレヴィユの断崖」
モネ 「睡蓮」
モネ 「積みわら」
モロー 「雅歌」
ラファエリ 「アニエールの街路」
ル・シダネル 「夕暮の小卓」
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村」
ルノワール 「泉による女」
レールマン 「小径」
ロダン 「カレーの市民―ジャン=ダール」
ロダン 「説教する聖ヨハネ」 |
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■解説
カミーユ・ピサロ(1830-1903)は、印象派グループに属する画家です。モネや印象派の他の画家たちよりも、10歳以上も年長でした。温和な人柄がしたわれ、印象派のみならず、新印象派やセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなど、当時まだ世間に認められていなかった画家たちのよき理解者でもありました。
西インド諸島のセント・トマス島生まれのピサロは、はじめ家業の商社を手伝っていましたが、画家になることを決心し、25歳の時パリに出ます。クールベ、コローの画風にあこがれ、一時はコローのもとで学びました。
1859年にモネと知り合い、しだいに戸外の陽光のもと、明るい色彩で風景を描くようになりました。1885年には、スーラ、シニャックに代表される新印象派の点描を受け入れ、それから数年間、点描技法を用いて風景画や農民画を描きました。
「りんご採り」は、ピサロの新印象派時代の作品です。空が見えないほどに大胆に斜めから俯瞰(ふかん)した画面に3人の女性の姿が配され、構図に工夫をこらしたことがうかがえます。日なたと日陰の対比が、鮮やかな色彩で描き分けられた作品です。
■エピソード
この作品は、大原美術館の開館11年後の1941(昭和16)年に購入されました。ピサロの作品といえば、大原美術館はそれまでに、児島虎次郎がヨーロッパで購入してきた「ポントワーズのロンデスト家の中庭」を所蔵していました。「りんご採り」は、ピサロの作品のなかでも代表作ともいえるほどの力作です。
画商に提示されたこの作品の金額は45,000円(注1) 。当時の入館者は数えるほどしかおらず、しかも第2次世界大戦前の不穏な空気が、日本のみならずアジア全体をおおっていた時代です。大原美術館も、きびしいやりくりを強いられていました。
しかし、この作品をぜひ大原美術館に欲しいと思った館長の武内潔真は、大原孫三郎・總一郎親子に相談しました。それならばと、児島虎次郎がヨーロッパから収集してきた作品12点と交換して、やっと手に入れることができたのです。
注1:現在の価格にすると約1億円強。
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