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アマン・ジャン 「
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭
エル・グレコ 「受胎告知
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女
クールベ 「秋の海
クラウス 「二月
ゴーギャン 「かぐわしき大地
コッテ 「老馬
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景
シニャック 「オーヴェルシーの運河
シャヴァンヌ 「幻想
セガンティーニ 「アルプスの真昼
セザンヌ 「水浴
セザンヌ 「風景
デルヴァン 「連馬
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子
ドニ 「
ピサロ 「りんご採り
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭
ブールデル 「ベートーベン像
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん
ホドラー 「木を伐る人
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女
ミレー 「グレヴィユの断崖
モネ 「睡蓮
モネ 「積みわら
モロー 「雅歌
ラファエリ 「アニエールの街路
ル・シダネル 「夕暮の小卓
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村
ルノワール 「泉による女
レールマン 「小径
ロダン 「カレーの市民―ジャン=ダール
ロダン  「説教する聖ヨハネ
 

■解説
ポール・シニャック(1863-1935)は、パリの裕福な商人の家に生まれました。1880年、モネ展を見て感動し、19歳のとき画家になる決心をします。
1884年、シニャックは、第1回アンデパンダン展のときに、スーラに出会います。スーラは新印象派の点描法(注1)を考案した画家。彼はスーラに共鳴し、ともに新印象派を代表する画家として、活躍するようになります。彼らは科学者たちの著作を熱心に研究しました。そして、印象派よりさらに明るい画面、秩序ある構図を科学的にめざしていったのです。
スーラは、かずかずの秀作をのこしますが、1891年に31歳の若さで亡くなりました。その後も、シニャックは新印象派の中心人物として、実作と理論の両面でその活動をささえます。1898年、彼は「ドラクロワから新印象主義まで」と題した論文を発表。この論文で、彼は新印象派の理論を、世間にひろく伝えたのです。この理論は、フォーヴの画家たちにも影響をあたえました。
シニャックは、水辺の風景をこのんで描きました。この「オーヴェルシーの運河」が描かれたのは、オランダ。近くで見ると1粒1粒の異なる色の点が、遠くで見ると溶けあって見えます。風車や船のマストは整然と配置され、静かな風景をつくりだしています。

注1:点描法:またの名を筆触分割。純粋な色とそれに近い色を、こまかな点としてならべていく。離れた位置からそれを見ると、人間の眼の作用により、それらの色が混ざりあった色に見えるという原理を応用した技法。

(参考文献)
「点描の画家たち」展図録 (朝日新聞社) 1985年 島田紀夫、名画を生んだ巨匠たち・10:スーラ・シニャック、「自警 平成13年1月号」