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アマン・ジャン 「髪」
アマン・ジャン 「ヴェニスの祭」
エル・グレコ 「受胎告知」
ゲラン 「タンバリンを持つイタリアの女」
クールベ 「秋の海」
クラウス 「二月」
ゴーギャン 「かぐわしき大地」
コッテ 「老馬」
コロー 「ラ・フェルテ=ミロンの風景」
シニャック 「オーヴェルシーの運河」
シャヴァンヌ 「幻想」
セガンティーニ 「アルプスの真昼」
セザンヌ 「水浴」
セザンヌ 「風景」
デルヴァン 「連馬」
トゥールーズ=ロートレック 「マルトX夫人の肖像―ボルドー」
ドガ 「赤い衣裳をつけた三人の踊り子」
ドニ 「波」
ピサロ 「りんご採り」
ピサロ 「ポントワーズのロンデスト家の中庭」
ブールデル 「ベートーベン像」
フレデリック 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
ホドラー 「木を伐る人」
マネ 「薄布のある帽子をかぶる女」
ミレー 「グレヴィユの断崖」
モネ 「睡蓮」
モネ 「積みわら」
モロー 「雅歌」
ラファエリ 「アニエールの街路」
ル・シダネル 「夕暮の小卓」
ルソー 「牛のいる風景-パリ近郊の眺め,バニュー村」
ルノワール 「泉による女」
レールマン 「小径」
ロダン 「カレーの市民―ジャン=デール」
ロダン 「説教する聖ヨハネ」 |
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■解説
ポール・ゴーギャン(1848-1903)は、パリ生まれ。株式仲買商をつとめ、そのかたわら23歳ごろから絵を描きはじめました。35歳のとき、仕事を辞めて画業に専念するようになります。
画家になってからのゴーギャンの生活は、妻子をかかえ、豊かとはいいがたいものでした。1886年から1890年にかけて、南仏ブルターニュ地方のポン=タヴェンに数度滞在します。この地で、ゴーギャンはベルナール、ゴッホ、セルジエたちとの交流をとおし、色を単純化した大きな面に分割して描く、装飾的な表現へとすすみます。
1891年、ゴーギャンは南の楽園へのあこがれをいだき、タヒチ島へ旅立ちました。しかし、タヒチはすでにヨーロッパの文明におかされ、ゴーギャンが想像した地ではありませんでした。1893年、彼はパリに戻り個展をひらきます。ところが評判がかんばしくなく、ゴーギャンは再びタヒチに渡ることになります。そして1903年、タヒチ島よりさらに奥のヒヴァ=オア島で亡くなりました。
この「かぐわしき大地」は、第1回目のタヒチ滞在時に描かれました。ゴーギャンは自らの『私記』の中に、この作品について美術評論家ドラローシュが書いた文章を引用しています。(注1) 「幻想的な果樹園。その誘惑的な植物群がエデンの園のイヴの欲情をそそる。彼女の腕がおそるおそる伸びて悪の花を摘もうとし、いっぽう怪鳥(キマイラ)の赤い翼がはためいて、彼女のこめかみをかすめ打つ」。ゆったりとした体つきのタヒチのイヴは、ゴーギャンの原始へのあこがれを象徴しています。
注1:参考文献:
「朝日・美術館風土記シリーズ・1:ゴーギャンと大原美術館」 (朝日新聞社) 1982年
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